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イージーモード新人営業マンが適応障害になった話

どうも!社会人2年目、まだまだ新人にして無職になりました、綴喜明日香です!←

 

いきなりパワーワードで申し訳ない。ショックかもしれないんですが、これもまあ私なので、いつかはブログにまとめて書きたいな~と思っていました。今がその時じゃないかと。

同じように仕事で悩んでいる人がいたら参考になるかな…と思いまして、思い切って書きだしました。現状悩んでいる、または、近くの人が悩んでいるという方、よかったら参考にしてください。

 

 

仕事の詳細

就職

大学4年生の頃、出版、広告など、紙に関わる仕事を…と思って就活しており、そんな中巡り合った会社に総合職という形で入社しました。面接時は「総務になると思う」と言われていたので、もともと総務や事務希望だった私はすっかりその気で準備していました。

 

ところが、実際回されたのは営業でした。

 

思えばそこからすれ違いは始まっていたようです。

 

勤務時間

広告系の中小企業で、9時~18時(内昼休み1時間)という一般的な勤務時間でした。営業なのでみなし残業40時間分が計上されています。営業職ならこのみなし残業制度はわりと一般的だと思います。

しかし、蛇足ですが現在就活中の皆さんはこの「みなし残業制度」にご注意ください。みなし残業40時間とは、もともとのお給料に40時間残業した分の手当が入ってるんだよーということです。残業時間41時間目から残業代が入ります。

ぶっちゃけた話、私はみなし残業代含めて手取り20万ありませんでした。

さらに制度として18時~19時までは謎の休憩時間とされていて、その間の残業は残業時間として計上されません。なんだその謎制度。先輩から聞くまで全然知らされていませんでした。

 

私の場合はたまたまついてくれたOJTの先輩が「仕事終わったらさっさと帰っちゃっていいよ~」という人だったのと、1年目の新人だったので、ほとんど定時で帰れていましたが、他のメンツは23時まで残業なんてよくある話でした。

 

仕事内容

大まかに2つありました。

1つ目。既存、新規問わず、お客さんのところへ訪問し、お仕事をもらってくること。

2つ目。デザイナーとチームを組み、プロジェクトを進めること。

 

適応障害に至った経緯

入社後のイージーモード

入社した4月からほぼずっと、OJTの先輩と共に行動していました。

先輩は10歳年上の男性。一応課長という肩書を持っていましたが、小さい会社なのでそれほど上下感覚はありませんでした。

体育会系出身者でしたが、スパルタということもなく、大体定時に帰らせてくれましたし、いろいろなところでノウハウを共有してくれ、とても恵まれた環境でした。

私自身モチベーションが高く、「早く自立して、立派な営業マンになろう!」とワクワクしていました。というのも、私の理想が母の姿だったからです。

母はうちの田舎で女性で初めて4年生大学へ進学し、大手企業の子会社へ就職。バリバリのキャリアウーマンだったのです。

『母のように自律したかっこいいキャリアウーマン』が私の理想像でした。

それが己の首を絞めているとも知らずに…。

 

11月からの異変

11月から、本格的に業務が始まりました。私に任される仕事も増え、プロジェクトも持つようになりました。

主に担当したものが社内では回せない業務だったので、下請けの会社とお客さんの間に入る形で仕事を行っていました。

ところが、担当のお客さんがものすごく細かい方で、1つ1つの案件で詳細な説明を求められ、問い詰めるような電話が毎日かかってくるようになりました。下請けの会社へ共有し、都合をつけようにも、下請けからは「無理、できない」の連発。

次第に電話の音や、メールの読み込み時間が怖くなり始めました。

この段階で先輩に相談できていればよかったのですが、それができなかったのです。

 

「先輩も忙しいから…」

「こんなことも対処できないダメな新人だなんて思われたくない」

「迷惑を掛けたくない…」

「お客さんにとっては新人も玄人も仕事相手なんだ。きちんとやらなきゃ…」

 

今になって見れば、新人なんて迷惑をかけてなんぼだし、相談して対処しての繰り返しだろうと思うのですが、そう考える心の余裕がなくなるくらい追い詰められていました。

電話口のお客さんの追及に。早く早くとせかすその声に。

 

このころから、毎朝が憂鬱になり始め、治まっていた持病の過敏性腸症候群が再発してきました。毎朝早めの電車に乗り出発するのですが、腹痛に我慢できなくなり途中下車。汚い話ですが何度も下してしまい、這う這うの体で会社に通うようになりました。

 

追い打ちをかける12月

12月といえば、忘年会シーズンです。

うちの会社は中小の広告系。大きな会社なんかでは御法度になっていたりしますが、この業界ではまだ「接待」という風習が色濃く残っていました。

先輩に指示されるまま、あちらこちらのお客さんにメールを出し、たちまち12月中は「忘年会」という名の「接待」予定で埋まりました。

もちろん接待が始まるのは業務後。しかも恐ろしいことに、先輩が話し上手なため、これが終わらないんです…。毎週のように週に2~3日は接待。時間は18時半から23時半までが普通でした。お店は決まって近くの焼き肉屋。

 

おじさんたちに囲まれて、気を使って肉を焼いてビールの追加を注文をして、「早く結婚したほうがいいよ」だとか、「彼氏いないの?」だとか、果ては下ネタに至るまでのセクハラ発言にとにかく耐えつつ、5時間。

「きつかったら言ってね」と先輩は言ってくれましたが、ただでさえ例のお客さん関係で迷惑をかけている手前、断るなんて選択肢は私の中では皆無でした。二次会をお断りするので精一杯。

 

帰りの電車を待つ駅のホームで、痛む胃を抑えながら涙をこらえました。

あまり言いたくないですが、電車を眺めながら、「あー飛び込んだら楽になるだろうな、って思う人の気持ちわかるわ…」なんてぼんやり思ってみたり。

何が一番つらかったって、浴びせかけられる「結婚」「彼氏」その他下ネタのオンパレード。私の中で、友達同士ですら話す際に気を遣うようなデリケートな話です(この件についてはまた別の記事で詳しく書きたいと思います)。

追い打ちをかけるように胃が悲鳴をあげて、家に帰ってからも吐き気と痛みで寝ることができずに朝を迎えることもしょっちゅうでした。

 

 

年明けの進展

正月明け。とうとう私が限界を迎えました。

新年早々開けたメールに例のお客さんから納期を急かすような連絡が入っており、正月休みにリフレッシュしたはずのものがすべて吹き飛び、再び上にのしかかってきました。

「早急にご連絡いただきますようお願い申し上げます。」

この一文に何度殴られたことか。すぐさま対応できるだけのスキルは身に着きましたが、心はボロボロでした。

そこに追い打ちをかけるように「新年会」の話が入ってきました。ああ、また12月のような毎日が始まるのか…と思うと絶望感でいっぱいでした。

そしてハードになっていく仕事内容。残業も増えていきました。

 

それから日曜の夜、涙があふれて止まらなくなりました。お風呂の中でわけもわからず歯を食いしばって泣きました。誰に言ったらいいのかわからない、終わりも見えない、そんな状況。ゴールはどこだ!?といった感じ。

毎朝涙をこらえて出勤してはトイレの中で吐きそうになっていました。

 

ある日、もうこれはヤバい!と思い、こっそり部長にメールを送りました。

 

『今週のどこかでお時間をいただけませんか?』

 

もう頭の中は「辞めたい」でいっぱいでした。既に転職サイトにはいくつも登録した状態で、部長には「辞めさせてくれ」と話す気でいました。

部長は女性で、40代くらいの優し気な方です。先輩にも言えなかった「接待がきつい」件や、「今のお客さんにやられている」ということを正直に話し、「辞めることも考えている」と言ったところ、引き留められました。

 

「私もそういう時期はあったからなぁ。今だけだと思うねんけど、身体に出てるんやったら、一回病院行ってみたらどう?」

 

その一言に背中を押されました。

 

病院でもらった診断

「明日からお休みできませんか?」

 

先生にそういわれたとき、とにかくびっくりしました。

なんでも、診察前に受けた心理テストのようなもので相当な数字を出していたようで、その場で適応障害と診断されたのです。

しかし今休んでしまっては先輩に迷惑がかかる。それはできないと先生に言い張って、せめてもということで「残業禁止」の旨を診断書に描かれました。

それからお薬をいただいて、毎週心療内科に通うことになりました。

 

休職から退職

病院から診断をいただいてからも4月までは頑張りました。4月で丁度仕事のキリが良くなると。

件の仕事が終わり、いよいよ休職。期間は3か月。それを超えれば退職。

休職期間中も謎のテンションの浮き沈みや頭の重さ、勝手に出てくる涙涙。一度ガタがきたものはなかなか治らないと見えて、いろいろな症状にやられました…。

そして、結局は休職復帰できず、退職になりました。

 

しかしここがちょっと引っかかっているのです。

私としては復職したいという意思があり、「復職可能」という診断書もお医者様から頂いていました。にも関わらず、会社の方で対応しきれないと「休職期間満了」で退職という形になりました。本来ならば「会社都合」の退職となると思うのですが…。そこが腑に落ちません。

 

まあしかし、結果としては向いていない営業職から逃れることができました。

これから先は転職やアルバイトなど、いろいろと検討しています。今度こそやりたいことができるように、「好きなことを好きなだけ」追求していきます。

 

現状

今現在は会社の健保から傷病手当金をいただいています。病気故にもらえるものです。大した額ではありませんが、ありがたいです。

まだ薬の服用は続いていて、回復とはいえない状態ですが、症状はだいぶ落ち着いてきました。

こんな状態ではありますが、やりたいことは我慢したくないし、夢は叶えたい。ひとつひとつつかみ取っていくつもりでいます。

どうぞ今後も変わらぬお付き合いをしていただけると幸いです。

 

今悩んでいる人へ

しんどいと思ったら、すぐ誰かに相談してください。でもそのときに、「俺もそうだった」「今は我慢すべき」なんて言われたら、正直聞かなくていいです。

一人一人のキャパシティは違います。私もそうでした。

正直今自分で書いた文章を読み返しても、「そこまでなるくらいしんどいものか?」と思いましたが、過去の自分は確かに苦しかったのです。

昔は「乗り越えてなんぼ」と言われ自殺に追い込まれていたような人たちでも、今は助かる時代です。私も世が世なら今このブログを書いていないかもしれません。

これはと思ったら、お医者さんへ駈け込んでみてください。もしかしたら私のような結果になる可能性もあります。

それこそこのブログに相談しに来ていただいても、TwitterのDMでも構いません。

心が悲鳴を上げたら、けっして無視せずに。ご自分をお大事にしてください。

 

追記

この記事をここまで読んでいただいたうえで、「こいつ甘えてんな~」と思った人は、心がきっとお強い方なので、そのタフネスでもって自由に人生を謳歌してください。ただ、「こんな奴もいるんだな~」くらいに頭の片隅に置いていただけると嬉しいです。

 

雇用形態に文句があったかというとありました。が、直接の原因はそこじゃなく、お客さんとの相性と、接待三昧と、文句を言い出せなかった自分だと思っているためにこういったまとめ方とさせていただきました。

 

その他質問などへの回答はこちらの記事に記載しました。

asukatuduki.hatenablog.com

 

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